こんにちは!
今回はタミヤから発売されている 「1/35 ドイツ重駆逐戦車 エレファント」の製作にチャレンジしたいと思います。これからタミヤ1/35エレファントを製作する方向けに、エレファントの開発背景や戦歴、そしてキットの内容について紹介したいと思います。
開発背景
VK4501(P)について
エレファントについて語る前に、その前身である「フェルディナント」の説明をしなければなりません。
ここからはキットの説明書を引用して解説します。
フェルディナントは、タイガーⅠ戦車の開発に携わったポルシェ社の「VK4501(P)」という車体が原型です。
この「VK4501(P)」は独創的な発想による設計で、その最たるものは推進機構にエンジン電気駆動方式を採用していた点でしょう。
これはガソリンエンジンで発電機を回して電気を生み出し、その電力でモーターを駆動して戦車を走らせるという画期的なものでした。
競合両社
タイガーⅠの開発にあたり、もう一つの競合先はヘンシェル社でした。
同社が開発した「VK4501(H)」とポルシェ社の「VK4501(P)」は、いずれも試作車体が完成する前の段階から量産準備が進められ、部品や生産設備が用意されていたとのことです。
ヒトラーのお気に入り
ポルシェ社というよりポルシェ博士を気に入っていたヒトラーは「VK4501(P)」を推しましたが、デモンストレーションでは明らかにヘンシェル社が優位でした。
その結果、タイガーⅠとして正式採用されたのは「VK4501(H)」となります。
しかし、ポルシェ社はこの時点ですでに100輌分の資材手配を進めており、1942年9月、ヒトラーはこの車体を流用した重駆逐戦車の開発を命じました。
スペックについて
主砲には口径8.8cm、71口径の長砲身を持つPak43対戦車砲を採用。強力な貫徹力を有していました。
車体は大幅な再設計が行われ、エンジンは中央に移設され、車体後部には巨大な箱型の戦闘室が設けられました。
装甲は戦闘室前面で200㎜、車体前面も100㎜の装甲板の上にさらに100㎜の増加装甲板がボルト止めされていました。
フェルディナントの誕生

写真はキットに付属する説明書の抜粋です(エレファント)
この重駆逐戦車は、開発を主導したポルシェ博士の名前にちなんで「フェルディナント」と正式に命名されました。
1943年1月から改造が開始され、同年5月までに90輌が完成しました。
フェルディナントの実戦投入
完成したフェルディナントは第653および第654重戦車駆逐大隊に配備され、1943年夏のクルスク攻勢に投入されました。
詳しい戦闘内容は他に譲るとして、ここでは戦績を紹介します。
フェルディナントはこの戦闘でT-34などのソ連戦車をその射程外から次々と撃破し、ソ連軍のあらゆる火砲を寄せ付けなかったとされています。
つまりクルスクの広大な平原で長距離から一方的に敵戦車を撃破したということですね。
しかし、ソ連軍の激しい抵抗により、損傷や故障が相次ぎ、稼働数は7月7日で37輌、8日で26輌、9日で13輌と減少していきました。
8月1日までの戦闘で合計39輌が失われたものの、敵戦車502輌、対戦車砲20門、野砲100門という大戦果を挙げたとされています。
後退とオーバーホール
クルスク戦の後、第653重戦車駆逐大隊はザポロージェなどで防衛戦を続けながら後退し、1943年12月にザンクト・ペルテンへ移動。
ここでフェルディナントはオーバーホールと改修を受けることになります。
フェルディナントの評価
戦闘力
フェルディナントの戦闘力は驚異的で、通常の徹甲弾を用いて初速1000m/s、射程500mで185㎜、1000mで165㎜、2000mで132㎜の30度傾斜装甲を貫通できたとされています。
これは最大射程においてもT-34やKV-1戦車を一撃で撃破可能な性能でした。
また、前面200㎜、側面・後面80㎜という重装甲は、口径12.2cm未満の火砲ではほとんど撃破できなかったと評価されています。
弱点
唯一の弱点は機動力とされています。
これは大重量による問題に加え、エンジン発電機と電動モーターによる複雑な駆動システムに起因するものでした。
ただし、実戦部隊の戦車兵や整備兵は配備から半年ほどでこの車両の扱いに習熟し、問題なく運用できるようになっていたとされています。
フェルディナントの改修
改修は抜本的なものではなく、戦訓に基づいた各種の改良が中心でした。
主な改修点は以下の通りです。
- 無線手用前方機関銃の追加(有名な改修点ですね)
- 視察能力向上のためのペリスコープ付き車長用キューポラの追加
- 機動力改善のための新型履帯の装着
- 火炎瓶対策として戦闘室前面に雨樋を追加
- ラジエーター上面の装甲グリル強化
- 各種装備品の配置変更
さらに、ドイツ戦車特有のツィンメリットコーティングも施されました。
エレファントの誕生

写真はキットに付属する説明書の抜粋です(エレファント)
これらの改修と時期を同じくして、ヒトラーの命により「エレファント」と正式に命名されました。
ただし、実戦部隊でこの名称が一般的に使われるようになるのは1944年5月頃からとされています。
エレファントの戦歴
エレファントの初陣は1944年1月のイタリア戦線でした。
その後もイタリア戦線や東部戦線(1944年4月以降)で激戦に投入され、多くの車両を失いながらも戦い続けます。
やがて第653重戦車駆逐大隊はヤークトティーガーを装備して再編成されることとなり、戦局はさらに厳しさを増していきました。
1945年1月、ソ連軍の攻勢による防衛戦と後退戦の中で大半のエレファントが失われます。
そして1945年4月22日、最後に残った4輌がベルリン防衛戦に投入されました。
そのうち2輌は故障により放棄されましたが、残る2輌は市街地で戦闘を続け、最終的に5月1日、ソ連軍およびポーランド軍に捕獲されたとされています。
エレファントの存在

写真はキットに付属する説明書の抜粋です(エレファント)
このようにエレファントはその攻撃力と防御力を存分に発揮し、大戦終結間際まで連合軍に脅威を与え続けたのです。
・・・と説明書は結んでいます。
エレファントの諸元
・全長:8140㎜
・全幅:3380㎜
・全高:2970㎜
・全備重量:65t
・乗員:6名
・エンジン:マイバッハHL120TRM-2 V型12気筒液冷ガソリンエンジン×2
・最大出力:265馬力×2
・最大速度:20km/h
・航続距離:150km
・武装:8.8cm対戦車砲 Pak43/2 L/71×1
7.92mm MG34機関銃×1
・装甲厚:車体前面100mm+100mm、側面80mm、後面80mm、戦闘室前面200mm、側面80mm、後面80mm
続きは次回記事で

今回はフェルディナントの誕生からエレファントの最後の戦いまでの変遷を辿ったため、大幅に字数を使ってしまいました。
肝心のキット紹介については、次回記事で詳しく紹介したいと思います。
次回は、タミヤ1/35エレファントのキット内容やパーツ構成、塗装例などを中心にレビューしていきます。
ぜひあわせてご覧ください。

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